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Posted by ミリタリーブログ at

2011年03月28日

USTC

US TRAINING CENTER



 ノースカロライナ、カリフォル二アにあるタクティカル・トレーニング・サイトを運営するU.S.Traing Center Inc. 元はBlackwater Lodge & Traing Centerで知られていた民間の訓練施設だね。Blackwater と言えばイラクで有名になった民間軍事会社のイメージが強いけれど、元をただせば射撃用ターゲットを作る会社だったそうだ。当初、Blackwater USAという名称であったが、2007年10月にBlackwater Worldwideに社名を変更し、イメージロゴにも変更が加えられた。
 この変更は2007年9月のイラクでの発砲事件によって纏わりついた悪評を回避しようと変更を加えたと揶揄されていたが、実際のところはどうだったんだろうね。名称も思い切り変わったわけではなかったし(ブラックウォーターはそのまま)、マークも一寸いじっただけだったしね。
 当のBlackwaterが言っていたとおり、「変更は以前から決まっていた。」という事が正しい様な気がするね。

まぁ、せっかく積み上げてきて有名となったブラックウォーターの名前を捨てられないという気持ちから、お茶を濁して、変わる意思を見せてみたとも考えられるけれど。

その後、2009年2月に本社機能をXe Services LLCの名称に変えたようだ。Xe(ゼー)はブラックウォーター・ワールドワイドをはじめとする各部門を統括する会社の様で、Xeの設立と同時期にUSTC の名称で訓練施設の運営が始まっているようだね。
 これらの名称変更はイメージの一新を図る狙いがあったとしても頷けるものだね。
実際、当時のブラックウォーターのイラクでの立場はかなり微妙だった。これまでの一般車両への銃撃等も含めて、やりたい放題だったんでアメリカ内務省からも愛想を尽かされ始めていたし、Xeへの名称変更から直ぐにイラク政府から社員全員の国外退去を言い渡されイラクでの活動の足場を失ってしまった。

 春の夜の夢のごとし・・それでも広大な訓練施設を持つUSTC は民間人の射撃訓練を始め、アメリカの司法機関への訓練を提供するなど、これまでのBlackwater Lodge & Training Center と変わらない活動をしているようだ。名称が変わっただけでブラックウォーターそのものなんだろう。
オバマ政権下でイラクへの関与が縮小するにつれ話題も少なくなった民間軍事会社だけれど、アフガニスタンなどでは活動が活発化しているようだし、これからも軍との蜜月は続いてゆくのかな?
 そうなれば、益々訓練を施す施設は必要になってゆくだろう。この様な訓練施設も無くなる事はないんだろうね。

Text By Tac  


Posted by USARV-TAG at 22:59Comments(0)Blackwater

2011年03月12日

3.11 震災



 昨日14:46 から数分後、俺の住んでいる地域でも強く長い揺れを感じた。長いスパンを持った揺れの感じから震源から離れていることも、揺れの大きさからも震源地域では大きな災害に見舞われていることも容易に想像できてた。

 横揺れの中で不意の出来事に動けなくなった職場の人間の避難誘導をし、揺れが収まった後に状況を確認にして回った。ファイルは散乱し、引き出しが開き、壁にひびが入っていた。

 ボランティア消防団に所属する俺は状況を確認しようと連絡を試みるも携帯は不通、固定電話も使用不能。唯一の情報源となったテレビ、ラジオも宮城県沖で大きな地震が起こったと繰り返し伝えているのみ。
広域災害時に携帯電話が有効との伝説に期待していた身としては、恥ずかしながら建物に大きな被害がないこの状況で通信が全く不能になることを想定していなかった。

 約30分後、無電を通じて非常参集命令が下り、散乱した物品の後片付けに追われ、繰り返す余震に不安がる職場の人を後目に任に就くことには後ろ髪をひかれたが参集命令に従った、地域の被災状況を確認する為の情報収集と二次的災害に備えて部隊を分けた。

 幸い地域では二次的な火災や倒壊などもなく、数軒の塀が傾いた程度。

 5時間を経て、参集命令が解除され警戒体制へと移行した。職場の人間は交通機関の運行停止でほとんどが帰宅難民化していた、夜10時過ぎ周辺状況の安全を確認したうえ、帰宅の必要に迫られている10km圏内の職員を社用車に分乗させ送り届けたが、鉄道沿線道路は徒歩で帰宅する人々の列が延々と続いており、異様な光景であった。道路は著しい渋滞で往復30キロ未満の距離を5時間かかり帰宅は3時を回っていた。

就寝は明け方だったが、微弱ながら余震を感じながら自宅のベットで眠れる幸運に感謝しつつも、震源地近くで眠れぬ夜を過ごされているであろう被災者の方々に後ろめたさを感じていた。

 この度の震災で被災された方々には慰めの言葉も見つかりません、皆様のご無事と一日も早く平穏な日常を取り戻されます様お祈りいたします。

USARV-TAG
Text by TAC  


Posted by USARV-TAG at 15:49Comments(0)