2008年02月29日

CMAC ~カンボジア~

CMAC - Cambodian Maine Action Center -
~カンボジア地雷処理活動センター~ 


CMAC ~カンボジア~

 カンボジア、10年前にもなるだろうか最後の大規模クーデターが起こった後、平穏を取り戻した国だ。現在、壮年の方たちを中心に観光地として知られる。勿論、最大の呼び物はアンコール遺跡群。
 この国のイメージをたずねるとき、その答えはその人の年代、性別、背景によって様々だ。観光、遺跡、貧困、難民、地雷、紛争、虐殺、麻薬、売春どれもこの国を代表しないが、この国を語る時その全てを内包している。ベトナム戦争の末期、日本人戦場カメラマン沢田教一、一の瀬泰三が殺害されたのもこの国だ。
 ベトナム戦争の戦火が隣国カンボジアに飛び火し、大規模な内戦に発展した。共産ゲリラのポルポト派が中国の後押しで勢力を拡大すると、戦争の拡大を恐れたアメリカは直接的な常備陸上戦力を投入するような介入こそ公にすることはなかったが、CIA主導で本格的な支援活動を秘密裏に行っていた。
 当時のカンボジア政府軍は弱体化しており、国体を維持する意義すら理解できなかった。ベトナムのサイゴンが陥落と時期を同じくしてカンボジアの首都プノンペンが陥落した。ポルポト派の首都掌握で内戦は終止符を打たれたように見えたが、そのまま歴史的に軋轢の絶えなかった隣国ベトナムへ侵攻を開始したのである。同時に国内での権力を磐石な物とするため将来的に政治力を問うような危険性をはらむ多くの知識人、特権階級、旧政府役員、教師、医師は言うに及ばず少しの外国語を理解する者まで危険分子として収容し、その殆どを抹殺した。
 また権力の基盤を揺るがされることを恐れたポルポトは同じ組織内の政治局員にまで疑いの目を向け始め、その中のヘンサムリンがカンボジアから逃れベトナムへ亡命する。ヘンサムリンを擁立し、その後見役となったベトナム軍はカンボジア領内の主要都市を制圧し、ヘンサムリン政権を樹立した。ポルポト派が勢力を弱体さると旧政府系軍閥が勢いを増し、カンボジアで閉ざされた10年の殆どをを構成した、3派軍事勢力による分割支配体制が国連介入の時期まで続く。
この30年に渡る、激しい内戦期にカンボジア国土はその殆どを地雷原に変えられてしまっていた。

CMAC ~カンボジア~

 国連介入時、自衛隊が参加したり文民警察が派遣されたり、多くのボランティア国連活動員が支援を行った。その中でボランティアに参加した青年が銃弾に倒れたのは真に残念だが、地道な活動によって国民選挙が復活するなど貢献の意義は大きかった。
カンボジア復興計画の要として地雷撤去が計画された。国連軍は各国工兵隊をその撤去に当たらせると同時にその技術をカンボジア国民に与えるべく訓練に当たった。CMACはカンボジア全土に敷設された敷設された地雷を撤去すると言う非常に危険な活動に当たっている。
私の何回かの渡航時には必ずと言っていいほど、このパッチをつけた一団が主要道路の脇、遺跡の中などで活動していた。当時はまだまだポルポト勢力が頻繁に活動していたので、妨害を受ける可能性もあっただろうに。
 退役自衛官の技術指導員も結構加盟して活動している。

Text By TAC





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